あまりに一度に写真を撮ったため整理がしきれていなかったが、ここにきていまさらながらではあるが、3月末に初めて行ったサファリでの出来事について。
ウガンダに来る前は、アフリカ→サファリ→ライオン?ゾウ?シマウマ?キリン?という短絡的な発想しか持ちあわせていなかったが、もちろんこういった動物もそこら辺にいるのではなく、かぎられた国の一部の場所でしかみることができない。東アフリカでは、外国人が想像するいわゆる”サファリ”は、ケニアのマサイ・マラやタンザニアのセレンゲティ、ンゴロンゴロといった世界に名だたる国立公園であり、ウガンダの国立公園は規模も小さく、動物もまばら、といったことをちらほら見聞きしていた。
が、、初めてのサファリは自然のすばらしさを感じることができる予想以上に大満足の体験であった。
盛りだくさんなので数回に分けて投稿。まずは初日の移動から。
今回は既に帰国してしまった同期の獣医のボランティア短期隊員の方3名とそのプロジェクトを担当している専門家、そしてシニアボランティアの方1名含めて計6名でウガンダの西の果てにある
Queen Elizabeth National Parkを週末に2泊3日で旅行した(詳細は同行した
専門家の方のWebsiteにも綺麗な写真付きでUpされている)。
カンパラから1~2時間ほど車で移動すると、ちょうど道が北半球から赤道にさしかかり南半球に入る。←は赤道地点にあるモニュメント。
車で数時間ほど経て、国立公園の全景が一望できるポイント(←)に。緑に覆われた丘陵地帯が広がるウガンダの他の地域に比べて、国立公園一帯は平坦な大地が続くサバンナ地帯。
さらに進んでいくと、いよいよ国立公園の入り口に。
公園に入るとすぐに道沿いでもいろんな動物が現れてくる。
←はイボイノシシ。
←はAfrican Buffaro。
宿泊するロッジは国立公園内にあり、ロッジに近くなると綺麗な湖の風景(←)が広がってくる。
←が今回宿泊した
Mweya Safari Lodge。湖を眼下に見下ろす絶景のLocationに建っている。なんと、このロッジも5月に
ウガンダでMBAのInterviewを受けたAlumniのグループが経営しているという。
サファリのど真ん中にあるにもかかわらず、首都カンパラのどの施設よりも快適で、ここウガンダだっけ?と目を疑わんばかりの環境。ちなみに宿泊料はもちろん$100/泊と外国人向けの価格。”サファリに動物を見に来る”などという贅沢な遊びは外国人にしかできないよう(配属先の同僚もサファリで動物などみたことがないそう)で、やや複雑な気分だ。
この日は久々のバスタブで日頃の疲れを癒し、次の日はいよいよGame DriveにBoat Safariと陸から水上から本格的に動物の姿を追いにいく。
ウガンダでいろいろ貴重な体験をさせてもらっているが、これは間違いなく強く印象に残った体験の一つである。2週間ほど前に、地方の小学校で活動している隊員の任地を訪問させてもらった。
JICAのボランティアの職種の一つに
村落開発普及員というものがあるが、これは地方の村落に入って、農業振興、一村一品活動、公共衛生指導、HIV/AIDS教育などなど、”地域振興に役立つことをなんでもいいからやる”という前提スキルゼロの体当たり的草の根活動。どの職種も事前に活動要請書なるものを取り交わすが、ある程度派遣先のニーズと活動内容が明確な技術支援系や学校教員系の職種と違って、村落開発普及員の場合は”とりあえずその地域に人をいれてしまえ!”系の形式的な要請が多く、自分で一からニーズの発掘と活動内容を模索していかなければならない場合が多いようだ。それゆえ”自分は必要とされているのか?”と悩んだり苦労も多いが、自分でテーマを見つけて地域の人々から信頼をえられた際には非常に達成感を感じる職種のようだ。特定の技術的なスキルうんぬんよりも、コミュニケーション能力、企画力、行動力、そして何よりも、同じ目線に立って信頼を得ることが必要とされる、”人間力”を磨くには理想的な経験だ。
今回訪問させてもらった任地の隊員は、私と同じタイミングで短期隊員として来ているが、その前に同じ任地で2年間フルの協力隊として活動しており、今回はさながら凱旋帰国(?)である。彼女は初めて派遣された際にいくつか活動テーマ、活動先を模索した結果、最終的に自分の手で現在の小学校での活動を立ち上げていった。小学校ではクラフト作りを生徒や父母の課外活動として推進し、それを自分のコネクションを通じてウガンダや日本の人に販売し、その利益やドネーションを集めて校舎の建築や図書室の整備にあてているそうだ。そして、現在再び短期隊員として2年間でやりきれなかった補完の活動をしており、今はさらに後任の長期ボランティアの女性と一緒に活動している。活動中で得た体験をもとに、帰国後は保育士の仕事を目指すそうだ。
任地はカンパラからマタツで1時間半ほどはなれたKibibiという小さな町のさらに奥にあるMabandaという小さな小さな村落である。おそらくウガンダではどこでも見られるごく一般的な村落の風景だろう。
↓がMabandaの村の一景。ウガンダもちょっと奥に入ると電気・水道はない。
村落では↓な家に住んでいる人もたくさんいます。
隊員が2年も活動した任地だけあって、村に入ってこちらを日本人と認識するとすぐに子供たちが、”コンチニハ”とペコリとおじぎをしてくる。如何に彼女の活動が地元に根付いているかを感じさせる。
さて、いよいよ小学校。茂みの先に校庭が見える↓
茂みを抜けるとついに学校に到着↓緑に囲まれた非常にのどかな小学校だ。
教室の一つはこんな感じ↓
こんな教室もあります↓
授業の風景↓
お世辞にも恵まれた環境とは言い難いが、そんなこととは関係無しに、子供たちは非常に明るく、屈託のないキラキラとした笑顔が印象的だ↓
彼女が整備した図書室の風景↓子供たちはこの図書室が大好きで、中休みは子供でいっぱいになる。
↓は彼女が推進した活動で得た資金で立てた新校舎。
この日は昼食もご馳走になってしまった。”ピラウ”↓という炊き込みご飯のような非常においしい料理。遠路からのゲストが来たということで普段と違い、"肉入り"だそうだ。
ただ、このような食事は生徒が給食として口にしている訳ではない。生徒の給食は小麦粉のようなものをお湯で溶いたものだけ。そしてその給食も費用が支払えるごく一部の生徒だけ。マトケやフルーツはそこら辺にいくらでも生えているように見えるが、地方ではマトケさえもそれなりの高価な食料らしい。育ち盛りの子供たちが、果たしてこれで栄養が足りているのだろうか?
この日は休み時間に子供たちと縄跳びやサッカーを楽しませてもらった後、生徒を集めて人形劇やプロジェクターを使った映像鑑賞を少しだけ手伝わせてもらった。そしてFianceeも
再生紙を使った和とじノートのワークショップを学校の子供たちを対象に開催させてもらい↓、非常に喜んでもらった。
続いて近所のお母さんたちを集めてアクセサリー作りを行っている現場を見学↓
最後は校庭で踊りの練習を見させてもらった↓みんな歌と踊りが大好きで楽しそう。
この日は一日中子供たちと触れ合い、すっかり楽しんで帰ってきた。日本と比べてはるかに貧しい環境にある中で、日本の子供たちにはないキラキラとした笑顔↓が非常に印象的だった。また、村落開発普及員として一から活動を立ち上げ、そして自分の進むべき道を見つけた彼女のストーリーにも触れることもでき、いろいろ考えさせられる一日だった。
もう活動期間も残すところ3週間あまりとなったが、ようやく希望していた
Nakawa Vocational Training Instituteでの活動をStartすることができた。
この学校はウガンダの公立の職業訓練校の一つで、校舎・設備の建設、教育プログラムの整備、指導員スキル育成などでJICAの支援が以前から大々的に入っており、現在はウガンダの職業訓練教育をリードする機関となっている。中学校や高校(Secondary School)の卒業生を中心に、機械、電気、溶接、板金、自動車、電子、木工などの分野で数百人の生徒がここで学んでいる。
←は学校の中の風景(キャンパス内ののメインロード)。
←は機械加工の実習の現場。JICAの支援もあり、設備もかなり充実している。
ここの現校長がもともと私の派遣先のDirectorを務めていた時に、今回の私の活動の要請をJICAにしたそうで、今のDirectorさんよりも私の活動の主旨をよく理解されている。3月頃に教育の現場を見るために訪問した際に、ぜひこちらもSupportしてくれ!と歓迎され、私の要請をしていただいた恩義を感じてこちらもサポートさせていただくことにした。こちらもデータベースを作って欲しいそうだが、こちらは安定したLANも含めてITインフラが非常に整っており、より便利なものを作れる環境にある。
諸々調整に時間がかかり、活動期間がたった3週間となってしまったが、昨日ブリーフィングを終え、期間内でおさまる範囲の活動を設定させていただいた。非常に小さな貢献であるが、残りの3週間でできることをやっていきたい。
4月の半ばのことであるが、首都カンパラの中心より西北に少し離れたところにある
マケレレ大学で日本語教師として活動されているシニア隊員の方を訪れた際のことについて。
その方は、大学の英文科に長年勤められた後、60代も後半でJICAの
シニアボランティアとしてケニア・ウガンダと日本語教師として活動を続けられており、そのVitalityには感服させられるばかりである。先日も、ウガンダのNakaseroマーケットというローカルな地区を一人バックパッカーのような風貌で颯爽と歩いておられる姿を拝見した。ちなみにJICAのシニアボランティアで活動されているのは世界中で600名弱いるが(
2009年3月時点)が、比較的活動のしやすいタイをはじめとしたアジアのしめる割合が多く、アフリカまではるばるいらっしゃるシニアの方はなかなか少ない。ここウガンダでも100名を越す隊員の中、シニアの方はわずか数名ばかりだが、どの方も心身ともに若々しく、また長年培われた経験・スキルを他国の発展のために活かされており、定年後にこういう過ごし方もあるのだな、と感心させられてしまう。
その方が派遣先でPC関連でお困りだということで、サポートさせていただくついでに任地を見学させていただくことにした。
マケレレ大学は1922年もの古くに創立された東アフリカで最も歴史のある大学で、現在は30,000人を越す学生を抱えたウガンダの高等教育・研究の中心的機関である。
学部は農業、芸術、コンピュータ・IT、経済・経営、森林・自然保護、法律、自然科学、社会科学、工学、獣医とずらりとりそろっており、立派な総合大学だ。別の敷地に独立して、なんとここウガンダでも
Makerere University Business Schoolなるビジネススクールもあるようだ。Applyしてみようかな?でもまたWaitlistかな?(爆)
キャンパスを歩いてみたが、日本の都内にあるどの大学のキャンパスよりも敷地が大きく、端から端まで歩くだけで一苦労といった感じだ。
施設は古くて趣があるもの(と、ぼろいもの)から新しくピカピカなものまでさまざま。とくに印象的だったのはキャンパスの正門からはいってすぐにあるコンピュータ・IT(Computing and Information Technology)学部の群を抜いて新しく大きな校舎。二つある校舎のうち一方はノルウェーの寄付、もう一方(↑)はムセベニ大統領の指揮のもと立てられたそうだ。この国の高等教育でのITへの期待がうかがえる。
中を覗いてみると、1~2階はがらんとした教室だけだったが、上の階にはウガンダでは見たこともない最新のIT機器がそろったPCルームがあった(←)。掲示板に貼ってあるカリキュラムをちらりと見てみると、OracleやCiscoといった最新のTraining Courseが受けれるらしく、一見先進国と変わらぬ非常に実践的なカリキュラムのようだ。ただ、私の派遣先のカウンターパートの息子さんも大学でITを専攻しているようだが、卒業後にスキルを発揮する職場がまだまだ全然足りないというのが現実なようだ。
いよいよ日本語教師として活動されている現場を拝見させていただいた。校舎の一角にある4畳半もないであろう一室がその方のオフィス兼教室だそうだ(なんとも前任者の方はオフィスも与えられず、椅子一つだったそう)。生徒数は数名程度らしく、週数回程度非常にこじんまりとした形で授業をされているそうだ。上記のITの学部は別格で、他の校舎では停電もしばしば、夜間コースで授業にならないなど、まだまだインフラも不十分なようだ。
その方は以前ケニアでも同じく日本語教師として活動されており、ウガンダでの苦労話やケニアとの違いなどいろいろお話いただいた。同じ東アフリカといえど、ウガンダとケニアでも生徒の気質が全然違うらしく、ケニアでは出した宿題はきっちりこなす、一度教えたことはきっちりマスターするのに対し、ウガンダでは宿題はやってこない、教えたことが全然身についてなく、日々おなじことの繰り返し・・・だそうだ。ジンバブエなど他の国で活動した隊員の話にもあったが、ウガンダはアフリカの中でものんびりした気質なようだ。やはり環境(水・食料)に恵まれて、計画的に蓄えをする努力をしなくても生きてきた歴史的背景があるからか??
この日はウガンダの高等教育の場を垣間見る非常にいい機会となった。
ウガンダでの活動も残り1ヶ月を切り、やり残すことのないよう残りの貴重な時間をつかうべく、毎日いそいそ派遣先での活動やイベントをこなしている。なかなか経験できない貴重な体験をして、日々いろいろ感じることも多いのだが、息つくまもなく次の体験、次の体験と、整理をする暇もないが、その日に感じた感覚を忘れないように、まめに記録をつけていくようにしたい。
以下はとりあえずハイライトで、追って詳細を補足するとしよう。
↓はある隊員が入っている地方の小学校に訪れた際の一景。
↓は
Ndere Centreにウガンダの伝統的音楽・舞踊を見に行った際の一景。
↓は
Gorilla Marathonなるマラソン大会でHalfを走り(歩き?)終えたゴール地点のナイル川の源流の一景。
↓は3月に続き二度目のサファリで
Murchison Falls National Parkを先週末訪れた際のハイライト。
↓は子供兵を社会復帰させるNPO団体の施設を訪れた際の一景。